ライフサポートウェルビーイングの日記

HSPもち保健師心理カウンセラー三児の母@新潟 宇宙理論×インナーチェンジングセラピー

父を見送りました

久々のブログ更新。昨日父の初七日でした。

色々ありましたが、家族、親戚や近所の方、式場の方多くの方の協力で無事に葬儀を終えることができました。


やっと携帯やパソコンを触る時間がとれました。そして疲れも出てきました。

朝起きれなかった。

朝、4歳の長男君が「もっとじいちゃんとタッチやバイバイしたかったなぁ」というかわいらしい言葉に、私、涙。

私「そうだね。じゃあさ。生きてる時にいっぱいおはようとかバイバイとかあいさついっぱいしよう!」長男「うん!」

て会話した直後に園で先生に「やっぱり言わない…」ってあいさつしないって。

オイ!話が違う!(笑)(挨拶はしましょうね)

 

といっても、世帯主だった父が亡くなった場合の諸々の変更手続きやら相当大変。

知らなかったのでビックリです‼まだまだ手続き関係はこれから大変です。経験を少しずつ書いていこうと思います。

 

「父の亡くなった日のこと」

 

つい1週間前に、私の介助でコーヒーゼリーを食べたのに、1週間後にはお通夜だなんて……。覚悟はしていたつもりだったけども思ったよりも早かったです。お彼岸くらいかなぁなんて思ってた。けど桃の節句前だった。

 

月曜に発熱して誤嚥性肺炎で入院、金曜日の午前中急変。病院に私が駆けつけた時はもう…。でも暖かくて心電図も動いてた。けど医師の話では、痙攣のような感じ、みんなが触っているから動いているんだそう。心電図の心拍が0になったり、また動いたりだった。

医師が瞳孔を確認して死亡診断をしようとしたが、妹が来るまで待ってもらった。母の兄弟や偶然近くにいた妹の夫と孫一人立ち会うことできた。

 

母は最期の時も「心臓マッサージはしないのか!してほしいわ。」と私に言う。

入院時にはっきりと医師から説明受けて「心臓マッサージはしない」に同意してサインしたはずなのに…。

母らしい。

約束と違うし私は希望しないのに、困りながらも「母が心臓マッサージしてほしいそうです」看護師さんに伝える。

つい母の気持ちを優先してしまう。母がずっとそのことを後悔するんじゃないか頭をよぎってしまい。しっかりと自分の意思が働いてないなと自分自身感じた。

看護師さんは、聞いてはくれたが、そのまま、そんな家族の様子を見守ってくれた。

 

医師の死亡診断の「11時○○分、ご臨終です」を聞き、初めて母は少しだけ泣いた。

 

看護師さんは心電図などを外し、今後の行き先や移動手段などについてのお話。

 

母が、すっと財布からカードを出して「ここにするから、電話して」と。それは斎場のメンバーズカードだった。最近メンバーになったとのこと。

 

母考えてたんだ。と知り驚いた。安心した。あきらめない気持ちと同時に最期の準備してたんだ。

覚悟の出来そうにない母とお葬式の話ができないでいたのが心配だったけど、母の妹と一緒にしていたらしい。よかった。

 

2日前まで父は母に「お父さん、あと2~3か月生きて!」と声かけていた。

けどご臨終のあと「あと1週間くらい生きてほしかった」と短くなってた。「とにかく少しでも長く一緒にいたかった」ということだ。夫婦の愛ってそうゆうものなんだなぁ…。とやっとわかった気がした。

父は体力も気力も限界でも、母はもっと食べて、もっと生きて。って。

父も最期まで頑張って食べてた。認知症で口を開けなくなってきて食事量がどんどん減ってきて枯れるように、苦しまずに旅だったと思う。

 

前日の夜、父は最期の力を振り絞って母の手を握り返して、「あー」と声出して泣きそうな顔をしたそうだ。お別れだったんだね。

前日の昼母は美容室に行っていた。私と叔母が「こんな時こそ自分のことキレイしたほういいよ」と勧めたのだ。

お葬式のために美容院にいったわけではないのに、すごいタイミング。父も母がキレイにしてくれてうれしかっただろう。

看護師さんが父を浴衣に着替えさせてくれた。葬儀場の方が迎えに来てくれて白い布に包まれて病院を出る。

T病院の先生が忙しい中外までお見送りしてくださいました。ありがたすぎて泣けます。

関わってくださった皆さんに本当によくしていただいてありがたかったです。

 

生きてる間に家に帰らせてあげることはかなわず、少し心残りだけど、父は約2日間。自宅の布団で家族や親せきに会いゆっくり過ごすことができました。